美しい車のなくなった時代

美しい車のなくなった時代

最近街中を走っている車で、ほれぼれとするようなデザインの車を見かけることはまずありません。たまに目がとまる

デザインの車がるとイタリアのマセラッティです。これはデザインをとことん大事にするメーカーの車ですから、明らかに

他の車と違います。しかし大多数の国産車のデザインは少しかっこいいという程度で、圧倒的な魅力を発しているものなど一台

もありません。トヨタの最高級クラスのレクサスも確かに高級感はありますが、優れたデザインとは決していえません。

一方ドイツ車のベンツやBMWは何十年もデザインの骨格を変えずに、自社のデザインのアイデンティティを継承しています。

イギリス車のジャガーやミニクーパーも同じです。ヨーロッパの人達は歴史を大切にし古いものを大事にします。一言で言えば

保守的です。車のデザインについても全くその考え方を継承しているように見えます。

日本の車で何十年もデザインの方針が変わらない車などありません。次から次へと少しかっこいいデザインの車を作っては

捨てまた次のデザインを作るという繰り返しです。

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これはアメリカの車にも似たところがあります。韓国・中国なども

日本やアメリカと同じで圧倒的に優れたデザインの車を作り続けるという姿勢がありません。

そのような車作りはドイツやイギリスに任せておけばいいという考え方ももちろんあります。日本車は燃費や性能で優れて

いればデザインは一番でなくてもいいという戦略も理解できます。しかし日本人の世界に誇る感性や歴史的なものづくりの

伝統を考えれば、日本車はもっと世界を驚かせるようなデザインの車を作ることができると考えています。今日本に帰国

して活躍しているカーデザイナーの奥村氏は以前フェラーリのスポーツカーのチーフデザイナーでした。

クールジャパン構想のなかで日本のデザインをもっと積極的に海外に売り出すべきとの声が上がっています。今や隈 研吾

や伊東豊雄など世界で活躍する建築家は大勢います。車のデザインももっと世界に誇れるものが作れるはずです。

売却した車は6000円でした

1980年代生産の車に乗っていました。かなり古い車だった上に走行距離は何と40万キロでした。

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当時お金がなくてこの車に仕方なく乗っていたのですがよく故障しました。あるとき坂道を運転している途中で突然ストップしてしまい、メカニックを呼んでレッカー移動してもらいました。修理をしようと思い、その旨をメカニックに伝えましたが何せ車が古いのでスペアパーツを見つけることができないと言われてしまい、修理を断念しました。この車をどう処理しようかと考えているとメカニックが買い取ってもよいと言ってくれたのでこの車を売却することにしました。レッカー移動した料金や修理を試みたときの工賃などを請求され、差し引いた金額はたったの6000円でした。この車が故障する数日前にタイヤを4本新しいものに替えましたがその金額が15000円だったのでタイヤを中古タイヤショップに売ったほうが儲かったかもしれないなどと考えながらも、メカニックに売ってしまえば面倒な手続きなどを行う必要もないので快く売却しました。数日後、このメカニックの勤める修理工場の前にある中古車ショップの前を通りがかると驚いたことに自分がメカニックに売った車が修理されて売り出されていました。このメカニック、部品がないと言っていたのにそれを見つけて中古車ショップで売りに出していたのです。ちょっと悔しかったのですがこの古い車が修理されてまた乗れるようになるということが何だかとても嬉しく感じたのを今でも覚えています。

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活きてる人を初めて見ました

その日は、朝から妙な胸騒ぎがしていた。

ホンダのシビッククーペで杉並区の自宅を出たのが、朝の9時少し前だった。クルマで15分ほどの距離に住む彼女のマンションに向かっていた。通い慣れた裏道を運転しながら、胸が苦しいような、モヤモヤするような感覚に襲われていた。「どうしたんだろう」。不安に思いながら、胸をドンドンと何度も叩いていた。

彼女を拾って環八を北上すると、大泉から関越自動車道に乗った。その日は、群馬県高崎市にある「山田かまち 水彩デッサン美術館」へ行く予定だった。山田かまちは、17歳という若さで亡くなったロック少年である。幼いころから絵画の才能も発揮しており、死後に遺された絵画や詩が、母親や恩師によって詩集や画集として発表されると注目され、美術館が設立されていた。

嫌な胸騒ぎは、クルマに彼女を乗せると何事もなかったようにおさまった。山田かまちが生前にバンドを組んでいたこともあるという氷室京介の曲を流しながら、高崎に向かって順調に走っていた。

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その時、ふと後輪が横に振れるのを感じた。次の瞬間、クルマが路面を滑るような状態になり、やがてゆっくりとスピンし始めた。とっさにブレーキを踏むと危ないと思い、ハンドルを固定しながら立て直そうとした。クルマはゆっくりと2回転して進行方向を向いた。「ここだ」と思って、必死にハンドルを操作すると、クルマは静かに路肩に止まった。

大きく息を吐いてひと息つくと、外に出た。右の後輪がバーストしていた。もうクルマは動けない状態になっていた。

急いでバーストしたタイヤを外して、スペアタイヤに代えた。作業をしているとパトロール隊の人がやってきて、黄色い旗を振ってくれた。タイヤを付け替えると、パトロール隊に見送られて出発し、教えてもらった通り、本庄児玉ICで関越道を下りてタイヤ専門店に行った。

店の作業員は、事情を聞くと、手慣れた雰囲気でトランクを開けた。バーストしたタイヤを見た瞬間、彼はこちらを振り返り、私の頭の上から足先までゆっくりと見た。

「生きてますよね」

私は、苦笑しながらうなづいた。

彼は、少し顔をひきつらせてこう言った。

「タイヤがこの状態になって、生きている人を初めて見ました」



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